なぜ数学を学ぶのか①

勉強の応用と動機

「論理的な思考が身につくから」…某TV番組でも回答として用いられるほど鉄板のフレーズです。
あるいは、「商品管理等で仕事の役に立つから」…これも間違いではないと思います。

ただ、少なくとも、僕の望む回答ではありません。

物理学の視点で回答すると、数学を学ぶのは「自然を記述する言語だから」「物理学や化学では到達できない自然の描像を表現できる唯一の手段だから」になるかと思っています。

論理的思考を修得することだけを目的にするのであれば、あえて数学で論理思考を学ぶ必要はありません。推理小説を読むことも、人間観察することも、論理的思考を修得する手段になりますし、数学より楽しいと感じる人も多くいます。

また、論理的思考はすべての人間が、同じレベルで修得できるものではありません。
小さい子供に、いくら論理的に諭しても、脳の回路ができていない限り、理解は不可能です。
特に、数学では、論理をあえて破綻させたり、人間の感性とは異なる規則性を取り入れるなど、高度な論理性まで扱われています。
これが数学の、他の科学の理論にはない、素晴らしい特徴なのですが、人間にとって本質的に気持ち悪いと感じる部分でもあります。誰もが、このような独特の数学の論理性を受け入れられる脳を持っているわけではありません。

たしかに、論理的思考を養うために数学を学ぶというのは一理ありますが、それがすべてではなく、そもそも独特の論理的思考ができる人が数学を学んで思考を発展させる、というようなものです。

ところで、数学、および算数は、非常に広大な範囲の内容を含みます。
算数は実学として必要です。単純に四則演算ができないと、お金の管理すら困ってしまいます。一方で、最先端の数学の論文などは記号の羅列になっていて、もはや論理の学習には不向きです。

そのため、どのレベルの数学を差して「なぜ数学を学ぶのか」という問いが発生しているかによって、回答が変わります。

ここでは、高校の数学や、大学の学部レベルの数学を想定して考えています。この範囲の数学では、多少、実学から離れた、微積分や虚数などを扱います。このレベルの数学は、「自然現象を記述するための言語」としての側面が強いです。高校物理では、微積分を使用しないという制限があり、実感しにくいのですが、力学の運動方程式などで必要な、一瞬一瞬の運動などを表現するために微分が必要です。また、原子分子の性質を記述するために、虚数が欠かせません。

「自然現象を正確に記述するため」にどうしても数学が必要なのです。それは推理小説で代替することはできません。また、人間観察をしていてもダメです。数学でなければダメなのです。

では、数学がないと自然現象は理解できないのか?という疑問も出てきます。
「理解できなくはない」です。実際、高校物理では微積分の表現を用いずに自然現象を学びます。ただ、高校物理が回りくどく、分かりにくいのは、数学的な制限を課せられているから、というのが一つの理由です。

自然の理解のために作られた世界共通言語が数学です。

2つほど補足を。

数学ではひたすら式の変形をさせられます。因数分解せよ、とか、約分せよ、とか、計算しなさい、とか。これは、同じ現象を別の側面からみることに相当します。実験結果をそのまま記述した式では考察が難しい場合、要素を分離統合し、それぞれの項の物理的解釈がしやすいように式を変形します。それが式の変形の本質です。

もうひとつ。「虚数」は、人では測定できない自然現象を記述するための発明品です。
少しオカルト的になってしまいますが、世界には「人間には知ることができない領域」が存在します。原子分子の世界や星の世界ではそれが顕著で、量子力学を理解するためには「人間には理解できない現象が確かに存在する」ということを認める必要があります。この、人間には測定できない領域の性質を表現するのが虚数です。量子力学の基本方程式であるシュレーディンガー方程式には虚数が含まれています。

数学、そこに含まれる虚数のような概念を知ると、それまで認知していた世界が、世界のすべてではなかった、という感覚が得られます。

数学は、自然を理解するために必要な、他では代替できない概念の集合体です。
ただし、高校までの数学では、自然科学との連結が不十分なため、つまらない数遊びになってしまっています。僕も、受験では、問題パターンと解法を覚えて得点源にすることしか考えていませんでした。受験でつまらない数学を学んでいたと思うからこそ、「論理的な思考が身につくから」と言われてもモヤモヤしますし、物理の勉強だけでなく、数学についてもモヤモヤしない学習をする手伝いがしたい…と願っています。

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